PABLO CASALS / J.S.BACH : CELLO SUITES
「ライブラリーでパブロ・カザルスを聴いてたの。弾きながら、うーんって、何度もうなるのね。感動的」
十代の頃読んだ、片岡義男著の“彼のオートバイ、彼女の島”に出てくる件。
それは主人公の女ともだちである麻里のセリフだった。
彼女は重要な役でも、そこが重要なシーンでもなかったけど、妙に頭に残った。
そんな事ってないだろうか?
パ ブ ロ カ ザ ル ス ?
それから何年も経って初めて、彼がチェリストで、素晴らしい音楽家であることを知った。
そしてバッハの「無伴奏チェロ組曲」を初めて聴いた。
ああ、音楽ってジャンルなんてないんだな。
そんなもの作っても何の意味もない。
音楽は音楽なんだ!それ以外なにものでもない。
本当にそう思えた。
そしてカザルスの「無伴奏チェロ組曲」との出会いが、素晴らしい。
つぎに、私たちは港の近くの古い楽器店に立ち寄った。束ねて積んである楽譜の拾い読みをしていたが突如、一束の楽譜を見つけた。古くなっていてくしゃくしゃになっており、色もあせていた。それがなんとヨハン・セバスチャン・バッハの無伴奏組曲-チェロ独奏のためのだった。私は驚きの目をみはった。なんという魔術と神秘がこの標題に秘められているかと思った。この組曲の存在を聞いたことは一度もなかった。誰ひとり、先生さえも私に話したことはなかった。なんのために私たちが店に来ているかを私は忘れた。ただ楽譜をながめ抱きしめるだけだった。あの光景は一度もうすれたことはない。今日でもあの楽譜の表紙を見るとかすかな潮の香のするかびくさいちいさい店に私は帰っていく。私は組曲を王冠の宝石のようにしっかり抱きかかえて帰宅した。部屋に入るなり、楽譜をむさぼるように繰り返し読んだ。あれは私が13歳の時だった。しかしそれからの80年間発見の驚きは増しつづけているのだ。あの組曲が私に新天地を開いてくれた。私は言葉にはいえない興奮をおぼえながら組曲を弾きだした。そして私の最愛の音楽になった。私は12年間、日夜、この曲を研究し弾いた。私がこの組曲の1つを演奏会で公開する勇気が出るまで、そうだ12年かかり、私も25歳になっていた。
「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」 新潮社